ゲーム理論 ナッシュ均衡とパレート最適



経済・経営

初回更新日:2020/4/28    

ゲーム理論とは人間の意思決定理論のことで、利害の対立する相手(個人、集団含む)がいる状況で、自分の利益を最大限得るための合理的な行動とは何かを考えるための理論です。 ゲーム理論の生みの親は、アメリカの数学者ジョン・フォン・ノイマン(1903-1957)で、アメリカで活躍した経済学者オスカー・モルゲンシュテルン(1902-1977)と共同で「ゲーム理論と経済行動」(1944)を出版しゲーム理論が誕生しました。 その後アメリカの数学者ジョン・ナッシュ(1928-2015)がゲーム理論を洗練させ、ナッシュ均衡という概念を考えました。なお「ビューティフルマインド」という映画はナッシュの半生を描いた物語です。

ゲーム理論の最も有名な事例の一つに囚人のジレンマゲームがあります。

■囚人のジレンマ
共謀して犯罪を犯した二人の囚人AとBが、それぞれ隔離された(相棒が何を言っているか分からない)状態で犯罪の自白を迫られています。 自分と相棒が自白するか否かで罪の重さが変わります。

 ・ 片方が自白、もう一方が黙秘した場合、自白した方は無罪放免、黙秘した方の罪が最も重く懲役10年
 ・ 二人とも自白した場合、少し罪が軽くなり懲役5年
 ・ 二人とも黙秘した場合、重い罪には問えず、懲役3年

これを以下の利得表で表します。



この状態で自分(Aとする)は、自白が良いか黙秘が良いかを考えます。ゲーム理論は、人間は常に最も合理的な選択を取る事を前提としている事がポイントです。

① AB共に黙秘を選ぼうとする場合
Aにとっては自白が良いので、Aは自白を選ぼうとします。しかしその瞬間Bにとっては黙秘し続ける事は得策ではないので、Bも自白を選びます。 結果、AB共に自白が最適解となります。



② Aは黙秘、Bは自白を選ぼうとする場合
この場合Aは黙秘を続けることは得策ではないので自白を選びます。結果、ABともに自白が最適解となります。



この様に、お互いが自分の利得を最も高くなるように合理的に動いた結果、それ以上利得を高くする余地のない状態をナッシュ均衡といいます。

■パレート最適
上記を見ると、ナッシュ均衡である「二人とも自白」より、「二人とも黙秘」の方が双方の利得を上げる選択である事に気が付いたと思います。 この様に、他社の利得を下げることなく全体の利得を上げる選択肢が他にあるとすれば、現在の状態は無駄がある状態、つまりパレート非効率といい、 利得の改善の余地が無い状態(この場合は二人とも黙秘)の事をパレート最適といいます。

この様にナッシュ均衡とパレート最適が一致せずジレンマを抱えている事例はよくありますが、パレート最適の選択をできない理由の一つに、このゲームが非協力ゲームであるからで、 仮に二人とも協力する事ができる協力ゲームならば、パレート最適の結果に導くことができる筈です。

■メカニカルデザインと不可能性定理
お互いに協力すれば、パレート最適な行動をとる事ができる筈といいましたが、実際にやってみるとそうはいかない事があります。それは自発的な協力状態においては裏切り行為などがあるからです。 ではどうしたら良いか?そこでパレート最適な行動をとるような強制力が働く、新しいルールをゲームに組み込んでやる必要があり、その様なルールをデザインする事をメカニカルデザインといいます。 ただしどんな場合にもうまくいくルールをデザインできるとは限らないということが証明されており、それを不可能性定理といいます。

■ゲーム理論の根本的な問題
これまで説明したとおり、ゲーム理論はあくまでも人間は経済的に合理的な行動をとるという事が前提になっています。しかし人間は必ずしも経済的に合理的に行動する訳ではない事が普段の経験でもわかると思います。 その時ゲームはどうなるのでしょうか。以下事例で考えたいと思います。

<最後通牒ゲーム>
1万円を二人で分けあう状況にあります。「提案者」が双方が受け取る値段を設定し、「提案を受ける者」がその提案を受けるか、拒否するかを選択できます。 しかし拒否した場合、二人ともお金を受け取ることができずゲームは終了します。この時、提案者はいくらを設定するのが良いでしょうか?

ゲーム理論の考えに従えば、提案者は自分が受け取る額を9999円に設定するのが最も合理的であるとします。 何故なら、提案を受ける者は拒否した時点で1円も貰えないのだから、拒否するよりは1円でも貰った方が良い筈だからです。

実世界で自分が提案を受ける者の立場になったらどうでしょうか?相手の理不尽さを許すことができず、たとえ自分が損してでも拒否して相手に報いを受けさせるような事があると思います。 経済学者のアマルティア・センは、この様にあくまでも合理的に考える筈だと考える人達に対する皮肉として合理的な愚か者と言っています。 この様に人間の心理や感情に基づいて行動するいう考え※は行動経済学として発展しております。

※ では人間の心理や感情に基づいて行動する人は合理的ではないのか?と言ったら、私は違うと思っております。例えば怒りをぶつけるという行為、怒ることで相手より優位な立場に立ち、 自分の安全を確保する事ができるので、生存競争においては極めて合理的な側面を持っていると思います。では、すべての感情が合理的かと言われたら、現代社会においてはやはりそれは違うとは思います。 怒りに任せて人を殺したら、相手との生存競争には勝つことができたが、社会的に制裁を受けてしまうので。




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